終電ラブストーリー

改札を出ようとすると社会人であろう身なりをした女性が切符売り場付近で叫びながら号泣しているのが見えた。立ったり座ったり、地団駄ふんだり、多様な表現をしていて、やや異常に感じられたから最初はそういう人なのかなと思ったけれどそういうわけでもなさそうだった。この種の遭遇があると第一に被害を被らなさそうな場所を確保して、さも誰か待っているような雰囲気を漂わせながら事態の推移を見守るというプログラムが自分には組み込まれている。

 

「なんっなのよぉー」

 

裸足のようにも見えたけれど、実際のところどうだったかきちんと思い出すことができない。裸足である理由がないし、裸足じゃなかったのでは。女性は改札横の駅員が待機している窓口付近で感情を吐露していて、駅員も対応するべきか否か決めかねているようで、その光景がなんとも良かった。

 

「本当にあの現場最悪、二度と行かない、なんで、なんで坂口が許されて私は、あんな、うぅ、辞めてやる、辞めてやるぅ」

 

嗚咽交じりに言葉を漏らし、切符売り場まで段々と歩みを進めては、また窓口まで戻る一連を繰り返していた。そういえば久しく人前で泣いていないし、泣いている人を見るのも久しぶりなんじゃないか、などと思う。観察者面すると天罰があたるもので、見物もそこそこにそそくさと帰路についてしばらくすると後ろの方からまたも「ウワーハーハーン」と声が響いて聞こえてきた。帰り道が被っていたのだ。なんとなく歩幅を短く調整する私がそこにはいた。気づけば自分は、彼女と同じ信号を待つまでに接近していた。

 

「死んでやる……死んでやる死んでやるっ」

 

そう叫ぶと彼女は突然道路へ飛び出した。

 

「マジか」と思ったのもつかの間、しかし、足は二、三歩でピタリと止まった。

 

「止まるんかい」

 

そして、何事もなかったかのように歩道へと戻ってきた。車両は少なかったけれど「やるな……」となったのでこの後も何か行動を起こすのじゃないかとしばらく凝視していたんですけど、なんか先方はそれから憑き物が落ちたみたいに冷静になってしまっていて、信号が青に変わるとスタスタと真っ直ぐ歩いて坂の下へと消えていってしまった。そういえば車道へ走り出す彼女の姿は若干楽しそうにも見えたので、あの時点で既にギャグへ入っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

立体

一軒目で先方が完全に酔っぱらってしまったからこれはもうヤレるなということでホテルを探したのだけど、秋葉原にホテルはない。だから金の蔵から御徒町・上野方面まで……手を組んでね、オタクどもに見せつけながら移動していったそうだ。でも意外に距離があるものだから(多分そんな理由だったと思う)、彼らは一旦そこらのHUBに入った。丁度WBCやってたから中が混んでたんですよ。だから外の席みたいなところに座らされて……寒かったですね。そこでディープキス。疲れたサラリーマンを尻目にディープキス。

 

そもそもの馴れ初めからオフパコをするために彼が名古屋から上京してここまで至るのを聞き出すのに一時間ほどかかっていたから、ここから先ホテルを見つけて童貞を捨てるまでにはどれだけ必要なのかとふと思った。「えぇえぇ、御徒町まで出ないとホテルは無いですからね」と調子いいつもりで相槌をうっていると彼は結局その後プリンセス一世というホテルに入っていったのだと言う。

 

「あそこ入ったんですか。あそこコスプレできるらしいんですよ。させましたか」

「いや金なかったから。おろせばあったんだけどなかったから。それに俺ラブホのシステム知らないし、テンパってたから休憩で入っちゃって」

「なんで休憩ですか。なんで休憩ですか!」

 

プリンセス一世は通学に使っている駅の真横に位置するホテルだったので、入ったことこそ無かったが「一世」のフォントが妙にルパン三世っぽいのもあって幼い日から意識はしていた。

 

彼と会うのも話すのも今日が初めてだったから、数時間前までは存在すら知らなかったことになる。そんな人間が童貞を捨てるというとても個人的出来事に至るまでの地理的移動が自分にとって急激に具体的なものになってきたので驚いた。帰宅してからもどうもそのことが気になっている。そこで、僕は彼が童貞を捨てたその37日に自分がどこで何をしていたのか、調べてみることにした。

 

手帳によるとその日の午前中は赤坂でバイトをしていた。そして15時半にはシフト交代なので、遅くとも17時には家に帰っていただろう。1819分には「たまの休日なのにマネキンにチンコ取り付けてる後輩が本当に可哀想だ。」というツイートを僕はしている。その時分、彼はまだ秋葉原駅で未だ見ぬオフパコ相手を待っているか、金の蔵でようやく対面したスピードワゴン小沢似だけど身体はメチャクチャエロい女を相手にどうにも盛り上がりきらない会話の火ぶたをようやく切って落としていた頃合いだろう。電気外口を出てすぐにあるあの金の蔵を出てからHUBまでの道のりは知らないが、おそらくそれからは中央通り沿いを歩いていったのだろう。そこをまっすぐ末広町の手前くらいまで来たところにあるカレー屋にはK先輩に連れていってもらったことがある。「いかにも神田カレーグランプリで優勝しそうな味」と悪態をついたのを覚えている。もう少し行けば一風堂上野広小路店だ。ここが開店してしばらくすると近くにあったもっと安くて不味い豚骨ラーメン屋は潰れてしまい悲しかった。松坂屋のそばまで来たら左折しなければならない。直進してしばらくするとドンキホーテ。ここには「おくむら」という名の店員が長いこと勤めていたが最近見ていない。彼は小さい身長にパンチパーマ、歪んだ眼鏡に悪い滑舌といったアクの強いヤツだったが、見かけるたびに嬉しくなる身近なヒーローだった。いきなりステーキ。ここに父と来たら「こんなデカいステーキ見たことない!」と歓声をあげられ恥ずかしい思いをした。交差点を渡ったらそこにはプリンセス一世がある。僕は以前、ここの前でインド人の男と日本人の男が喧嘩しているのを見たことがある。痴話喧嘩だったのだろう、日本人の男は泣きながら「インド人になにがわかるんだよ!」と叫んでいた。そんな模様を反対側の通りのちょっと離れたコンビニのあたりからニヤニヤ眺めていたのは、もう三年も前のことになるのだろうか。勿論その時分、そのおよそ二年後に鶯谷を散歩している最中「プリンセス二世」なる姉妹ホテルを発見することになろうとは考えてみもしなかった。

 

恐らく後輩は、その数時間後にプリンセス一世で童貞を捨てる他人がいるなどとは露知らずに、マネキンへチンコを取り付けていた。そんな後輩に思いをはせながら、僕は、家でただゴロゴロとしていたのだと思う。

 

奇特

だからなんだってな物事の輪郭を指でなぞっていくうちに夜が明けていて、陽の光をカーテン越しに眺めながらその時分には眠気に包まれていると望ましい。


七、八年ほど前に治療してもらった箇所にはカブセモノがしてあるのだが、どうやらいつの間にかそれが欠けてしまっており、しかも欠けた隙間にカスが溜まってまた虫歯になってしまっている。と、別の虫歯を治療した際に伝えられたのが三月の頭だからまた僕はそこからひと月も虫歯を放置していたことになる。虫歯なんて放っておいても治らないにきまっているのに、自分にはそういうところがある。関係あるかは知らないが、祖母にもそういう悪い意味で雑なところがあり、医者から渡された薬を全くきちんと飲まずに気づいたら死んでいた。金歯の部分だけがしっかりと焼け残っており、火葬場で親戚一同がどよめいていた記憶がある。


自分が通っている歯医者は十年近く前から全く風貌が変化していない老人で、いい加減別の歯医者を探さなきゃなとは思いながらも「これはヤバいね!深いよお!!」と嬉々と報告しながら歯を削りまくるこの人を前にすると、全てが面倒くさくなって「もう好きにしてください」という気になる。


僕はこの歯医者しか知らないからすごく少ないサンプルを駆使して語らなくてはならないのは、歯医者の詰め物っていうのは、あれはほぼ図画工作と要領は同じなのではないかということだ。そうかねてから思っていた。よくわからない薬を塗って伸ばして、粘土と何が違うんだろうか。他所もそうなんでしょうか。


とりあえず様子を見るからね、大丈夫そうならもうちょっと削ってカタとってはめよう、もしかしたら神経までとらなきゃならないかもしれないけど神経はいつでもとれるから、とりあえずね、とのことだから、次の火曜日まで様子を見ることになった。

「すいません、ペンお借りできますか。手帳にかきこみたくて」

「俺、手帳なんて持ったことないよ!全部ココ(と、言って禿げかけた頭を指し)に入ってるんだから」

「えっ、すごいですね」

「そうだよ〜すごいんだから」


会計は933円だった。1000円渡すと70円返ってきた。医療機関でオマケという制度があるんだ、という新鮮な驚きを胸に外へ出る。就活用の証明写真を撮ろうと写真館へ予約の電話をすると「御茶ノ水店は期間限定のオープンなので今はございません」と不明瞭な説明を与えられたのでやる気を無くし、家へ帰って寝た。

幾分

サークルの後輩Hが言うには、彼女は顔にモヤのかかった異性にだきしめられる夢を見て以来「寂しさを自覚して周りとそれを共有するようにした」んですって。


それを聞いて、僕は以前Hに失恋の愚痴を語らせる即興劇をやってもらったことを思い出した。この即興は大変上手くいったんですけど、それはようはHの人生の本質みたいなものがそこに含まれていたからなのかもな、と今は思う。


つまり、彼女は喋らずにいられないのだ。これは良いとか悪いとかでなくて、そうすることで生き延びていくタイプの人間なんだということね。


その話を聞いて、また別の後輩Sが言った。「……寂しさに気づかず生きていこうとする人間と、寂しさに気づいて周囲に発散しようとする人間、どちらが寂しいんでしょうねェ〜〜」……Sはいつもトボけた雰囲気をまとっている人間だから、突然こんなことを言いだされると僕は意表を突かれて笑ってしまった。すかさずHは鼻息荒く「私は後者のタイプですけど、そのことを自覚することによって……」と自分の話に回収しようとする。


Sは、恐らく前者のタイプなのだろう。彼の抱える寂しさの正体が「気づかないフリをすることができるくらい些細なもの」と「気づかないフリくらいでしか対処しようがないもの」のどちらなのか、僕にはわからない。


そんなSと僕は四月の中旬に即興芝居をやる。深夜から朝方にかけてSがあちこちに電話をかけて駄話をするだけというものだ。Sの会話は軽妙で途切れることがなく、即興とは思えず関心してしまうことも多い。


しかし、ふとSが握りしめる小道具の黒電話の電源の先を見ると、当然のようにプッツリと切れていて、そのことが僕をたまらなくさせる。何故、誰とも繋がっていない黒電話を握って、君は延々と話すことが出来るのか。ここには決して交わらない寂しさが蔓延している。

押忍

美談や醜聞に限らず、よく出来た話の類いを聞くと下世話な喜びを覚える傍ら「よくよく幸運なことだったな」と無闇矢鱈に唾を吐きかけたくもなります。つまり、我々は『よく出来た』と思わせる為に施された工程をしばしば忘却し、素朴に事情を信仰してしまう。そして生じる内的な気分の上に安寧している。これが悔しくてたまらないんです。

 

だから、ふと冷静になって隣りで横になっている人間のノッペリとした寝顔を一度覗きこんでみるといい。私はそう提案します。際限なく「こいつは一体なんなんだ」と考えても、一向に何もわからない。見えてこない。なんだつまんねえやと貴方は観察を打ち切って自分も寝床に入る。すると突然後ろから声がするのです。「ねぇ、さっきから私の顔を見てたけどなんなのよ」、と。

 

何故か怪談のようになってしまいました。ここで私は中学生の頃からの怒りにも似たとある疑問……「俺が無意味にオナニーにふける傍ら、恋愛を成就させたり最高の仲間たちと巡り合うなどして日々に充実をもたらす輩がいる。この対比はどういうことか」……にようやく答えることが出来そうです。つまり問いの立て方こそが誤っていた。対立構造が実は小さいドット絵のうねりによって構成されていた可能性とあるいはその逆であるかもしれない可能性の往復を当時の私は考えてみもしなかったのでした。

 

つい先日「お茶と説教 無関心の道徳的価値をめぐって」という戯曲の演出を終えた僕は、今そんなことを考えています。

寄席の話

ここ数日で色々なものを見たので、それらへの感想をまとめて書く。

まず一昨日。上野広小路亭に行った。小さい寄席で、客席の殆どは老人が占めている。出てくる芸人さんはほとんどベテランの域に達しているはずだが、ちょこちょこと滑る。若手の芸人さんのように、試行錯誤や持て余した勢いが空回りした果てに滑るのではなく、ただ滑る。ただ上辺をなぞるだけでこちらに届くことがない言葉は段々と蓄積してこちらは息も出来なくなる。長い芸暦の中で何かが磨耗していった結果なのかもしれないけど、だとしてもその惰性でしかない空間に付き合わされるこちらの身もなかなかしんどい。私は、極端に言うと、舞台の上には凝縮された人生しか存在してほしくない。だから、ゴルフに行って楽しかった話だとか、とってつけた政治批判だとか、そういうのをしてくれないでください。私はもう、凄くないものをこれ以上目に入れ続けると健康に生きていくのが難しいのです。よろしくお願いします。

 

そして昨日。知り合いが二人出演している劇を観にいった。端的に言うと悲劇だ。むくわれない凡人はとうとう望ましい形でむくわれず、それでもなんらかの決断をすることで前進するしかないというオチ。その内容にけちをつけるつもりはないんですけど、「んなこたぁわかってんだよ」ということをさもしたり顔で指摘されたような不快感を覚えて劇場を後にした。「んなこたぁわかってんだよ」ということを、一介の大学生演劇に、チケット代1000円を払った上で、指摘される(しかもドヤ顔で)。うるせぇよ。そう叫びたい。大学生は黙って授業に出て、アルコールとニコチンを摂取し、繁殖行為に励んでいればそれで良いのではないか、少なくともそうあることが私の精神にとっては一番悪影響がない。お互いにとって不幸な出会いをしてしまったものだ。

 

観劇後、友人が出ているという下北沢のライブハウスに向かう。肝心の友人はライブ出演経験が少ないせいもあってかどこかぎこちなさを感じる演奏だったけど、残りの出演者の二人は演奏技術も素人目にはプロと比べても遜色なく、オリジナルの歌詞によって描かれる個性的な世界観に素直に魅せられた。感動した、と言い換えることもできそう。だけど、狭い狭いライブハウスで展開される完成されきった世界観のライブパフォーマンスに、私はいささか酔っ払ってしまった。なじみの客らしき人々が、曲の合間になると時には歓声を、時には冗談を投げかけ、出演者はにやりと笑って、二~三言返事をすると、次曲の演奏にうつる。演奏が一通り終わると、仲間内で集まり批評をし合う。「いやぁー、お前のあれ、良かったんじゃないかな」「褒めるなんて珍しいですね!」「俺も丸くなったってことよ~」あっはっはっは……。店を出ようとすると、演奏者の方からCDを渡された。一枚一枚手焼きだそうだ。彼らのこうした草の根運動が、いつか実を結ぶのを願ってやまない。

私を感動させようとしてくれる人たちのこと、段々苦手になっていく。 

三月の愚痴

趣味で参加している演劇で四月末に公演があるため、今月は練習に忙しい。台詞を覚えて話すだけならこれまでの要領でもこなせるのだけど、今回の公演では私史上初めてダンスを劇中でこなさなくてはならないので、ある程度は激しい動きも出来なくてはならない。だから練習もノホホンとしたものではなく、まあまあつらい。その割りに全体の完成度が上がっていく実感がほぼ無く、これもまあまあつらい。自分の出来る範囲で劇が面白くなるようにがんばらねばと思う。

 

今回私は役者として参加するのだけど、なんと私以外の役者陣は全員顔見知りで、私だけが各人と初対面らしいから驚いた。最初はそんな訳で尻込みしたけど、というか今でもかなり尻込みしているけど、段々稽古場でも会話が増えてきて嬉しい。しかし関係の要領が掴めてきた途端に各人のいやな部分も見えてきてしまうのは、どうなんでしょうか。そんなあっさり見えてしまって、いいのか。きっと私のいやな部分も見破られているのだろうな。そう思うと、左足のふくらはぎがシュッと張る。

 

主役を演じるKさんとはよく休憩中にコンビニまで夕食を買いに行っていることもあり、一番よく話す。Kさんは練習の最中にも空気が停滞すると冗談を言って雰囲気を換えてくれるのだが、その分滑ることも多い。無理だけはしないでほしい。先日は稽古後に一緒にラーメン二郎を食べに行った。たまたまその時、稽古があまりに遅々として進まないことにイラついていた私は、ヤサイニンニクマシラーメン(660円)を食べながらKさんに「稽古中、芝居手抜きしてたでしょ」と暴言を吐いた。Kさんは明らかに困惑していたので私は感情を察知しすぐに謝ったのだが、そこにはシコリが確実に残ってしまっていた。

 

その翌日のことだ。稽古後、Kさんは私とトイレにて練習着から着替えている最中、ふいに「今日の稽古は手抜きしてなかったでしょ?」と聞いてきた。ぞっとするような申し訳なさを覚えた。ああ、ごめん。Kさん、本当にごめんなさい。


ストレスから開放されんが為、最近はカレーを食べることが多い。カレーを食べるとセロトニンっていう、幸せな気分を生み出す脳内物質が出るんだよ、だから半分麻薬みたいなもんなんだよ、凄いよね、などと店に向かう道中で仲がよくも悪くもない友人に話す。仲がよくも悪くもないからか、大した反応は得られない。だからどうってことはない。カレーを食うと眠たくなる。これが良い。目下、シンプルな欲望しか私を癒してくれない。カレーにも飽きてきたら何かが終わっちゃうかもしれないという予感がある。