寄席の話

ここ数日で色々なものを見たので、それらへの感想をまとめて書く。

まず一昨日。上野広小路亭に行った。小さい寄席で、客席の殆どは老人が占めている。出てくる芸人さんはほとんどベテランの域に達しているはずだが、ちょこちょこと滑る。若手の芸人さんのように、試行錯誤や持て余した勢いが空回りした果てに滑るのではなく、ただ滑る。ただ上辺をなぞるだけでこちらに届くことがない言葉は段々と蓄積してこちらは息も出来なくなる。長い芸暦の中で何かが磨耗していった結果なのかもしれないけど、だとしてもその惰性でしかない空間に付き合わされるこちらの身もなかなかしんどい。私は、極端に言うと、舞台の上には凝縮された人生しか存在してほしくない。だから、ゴルフに行って楽しかった話だとか、とってつけた政治批判だとか、そういうのをしてくれないでください。私はもう、凄くないものをこれ以上目に入れ続けると健康に生きていくのが難しいのです。よろしくお願いします。

 

そして昨日。知り合いが二人出演している劇を観にいった。端的に言うと悲劇だ。むくわれない凡人はとうとう望ましい形でむくわれず、それでもなんらかの決断をすることで前進するしかないというオチ。その内容にけちをつけるつもりはないんですけど、「んなこたぁわかってんだよ」ということをさもしたり顔で指摘されたような不快感を覚えて劇場を後にした。「んなこたぁわかってんだよ」ということを、一介の大学生演劇に、チケット代1000円を払った上で、指摘される(しかもドヤ顔で)。うるせぇよ。そう叫びたい。大学生は黙って授業に出て、アルコールとニコチンを摂取し、繁殖行為に励んでいればそれで良いのではないか、少なくともそうあることが私の精神にとっては一番悪影響がない。お互いにとって不幸な出会いをしてしまったものだ。

 

観劇後、友人が出ているという下北沢のライブハウスに向かう。肝心の友人はライブ出演経験が少ないせいもあってかどこかぎこちなさを感じる演奏だったけど、残りの出演者の二人は演奏技術も素人目にはプロと比べても遜色なく、オリジナルの歌詞によって描かれる個性的な世界観に素直に魅せられた。感動した、と言い換えることもできそう。だけど、狭い狭いライブハウスで展開される完成されきった世界観のライブパフォーマンスに、私はいささか酔っ払ってしまった。なじみの客らしき人々が、曲の合間になると時には歓声を、時には冗談を投げかけ、出演者はにやりと笑って、二~三言返事をすると、次曲の演奏にうつる。演奏が一通り終わると、仲間内で集まり批評をし合う。「いやぁー、お前のあれ、良かったんじゃないかな」「褒めるなんて珍しいですね!」「俺も丸くなったってことよ~」あっはっはっは……。店を出ようとすると、演奏者の方からCDを渡された。一枚一枚手焼きだそうだ。彼らのこうした草の根運動が、いつか実を結ぶのを願ってやまない。

私を感動させようとしてくれる人たちのこと、段々苦手になっていく。