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押忍

美談や醜聞に限らず、よく出来た話の類いを聞くと下世話な喜びを覚える傍ら「よくよく幸運なことだったな」と無闇矢鱈に唾を吐きかけたくもなります。つまり、我々は『よく出来た』と思わせる為に施された工程をしばしば忘却し、素朴に事情を信仰してしまう。そして生じる内的な気分の上に安寧している。これが悔しくてたまらないんです。

 

だから、ふと冷静になって隣りで横になっている人間のノッペリとした寝顔を一度覗きこんでみるといい。私はそう提案します。際限なく「こいつは一体なんなんだ」と考えても、一向に何もわからない。見えてこない。なんだつまんねえやと貴方は観察を打ち切って自分も寝床に入る。すると突然後ろから声がするのです。「ねぇ、さっきから私の顔を見てたけどなんなのよ」、と。

 

何故か怪談のようになってしまいました。ここで私は中学生の頃からの怒りにも似たとある疑問……「俺が無意味にオナニーにふける傍ら、恋愛を成就させたり最高の仲間たちと巡り合うなどして日々に充実をもたらす輩がいる。この対比はどういうことか」……にようやく答えることが出来そうです。つまり問いの立て方こそが誤っていた。対立構造が実は小さいドット絵のうねりによって構成されていた可能性とあるいはその逆であるかもしれない可能性の往復を当時の私は考えてみもしなかったのでした。

 

つい先日「お茶と説教 無関心の道徳的価値をめぐって」という戯曲の演出を終えた僕は、今そんなことを考えています。