幾分

サークルの後輩Hが言うには、彼女は顔にモヤのかかった異性にだきしめられる夢を見て以来「寂しさを自覚して周りとそれを共有するようにした」んですって。


それを聞いて、僕は以前Hに失恋の愚痴を語らせる即興劇をやってもらったことを思い出した。この即興は大変上手くいったんですけど、それはようはHの人生の本質みたいなものがそこに含まれていたからなのかもな、と今は思う。


つまり、彼女は喋らずにいられないのだ。これは良いとか悪いとかでなくて、そうすることで生き延びていくタイプの人間なんだということね。


その話を聞いて、また別の後輩Sが言った。「……寂しさに気づかず生きていこうとする人間と、寂しさに気づいて周囲に発散しようとする人間、どちらが寂しいんでしょうねェ〜〜」……Sはいつもトボけた雰囲気をまとっている人間だから、突然こんなことを言いだされると僕は意表を突かれて笑ってしまった。すかさずHは鼻息荒く「私は後者のタイプですけど、そのことを自覚することによって……」と自分の話に回収しようとする。


Sは、恐らく前者のタイプなのだろう。彼の抱える寂しさの正体が「気づかないフリをすることができるくらい些細なもの」と「気づかないフリくらいでしか対処しようがないもの」のどちらなのか、僕にはわからない。


そんなSと僕は四月の中旬に即興芝居をやる。深夜から朝方にかけてSがあちこちに電話をかけて駄話をするだけというものだ。Sの会話は軽妙で途切れることがなく、即興とは思えず関心してしまうことも多い。


しかし、ふとSが握りしめる小道具の黒電話の電源の先を見ると、当然のようにプッツリと切れていて、そのことが僕をたまらなくさせる。何故、誰とも繋がっていない黒電話を握って、君は延々と話すことが出来るのか。ここには決して交わらない寂しさが蔓延している。